高橋真梨子の辛すぎる生い立ち!激やせの今に至るまで

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「桃色吐息」や「はがゆい唇」などの代表曲を持ち、歌唱力に定評のある高橋真梨子ですが、生い立ちにはその後の波瀾万丈な人生を物語るものがあったようです。

2016年大みそかの紅白で彼女の激やせした姿を見て、「大丈夫なの?」と心配されたかたも少なくないのではないでしょうか。

そんな彼女の生い立ちから激やせする今に至るまでを気になったので調べてみました。

母との確執を生んだ高橋真梨子の辛すぎる生い立ちとは?

広島鉄道局に勤める父と広島市内の銀行に勤める母はともに第二次世界大戦の際の原子爆弾により被爆してしまいました。

戦争後、ジャズクラリネット奏者になった父、母と3人でジャズの盛んだった福岡に移り住むことになりました。

ところが彼女が5歳のときに両親は別居、10歳のときに離婚、その後父親は被爆の後遺症に苦しみつつ39歳という若さで亡くなっています。

母親は別居中に不倫相手を自宅に連れ込んでは父親とケンカになったり、ひどい言葉を吐いたりするように・・・

彼女は次第に母親を憎むようになります。

新しく父親となった人は女性と見れば手あたり次第に関係を持とうとするような人だったこともあり、母への嫌悪感がよけいに強くなってしまったのかもしれません。

そんなことから母親とは絶縁状態にあったのですが、母ががんで余命宣告を受けたのを機に、亡くなるまで一緒に暮らしていたそうです。

高橋真梨子というアーティスト誕生の裏にあったものは?

ジャズクラリネット奏者だった実の父親は、被爆の後遺症に苦しみながらも彼女に音楽を教え続けていたそうです。

彼女の才能を見抜いていたのか、アイドルではなくアーティストとしての芸能界デビューにこだわっていたのだとか。

1度アイドル的な芸能界デビューの後、アーティストとして再デビューをしていることからも、父の教えをしっかりと守った結果のように思えます。

彼女の実力からすれば当然と言えば当然のことですが・・・

高橋真梨子を激やせの今に至るまで支え続けた人

44歳でヘンリー広瀬さんと結婚、47歳のときに更年期障害を発症してしまいます。

更年期障害特有の頭痛や耳鳴り、吐き気、めまい、イライラや倦怠感が続き、うつ病を発症して遂には寝たきりに・・・

3ヶ月間の自宅療養を経て今は元気になり、コンサート活動も精力的に行っているようです。

もちろんその間に夫のヘンリー広瀬さんが、彼女を支え続けていたことは言うまでもありませんね。
高橋真梨子と言えば私の中では「バラードの女王」的な存在で、カラオケに行くたびに彼女の歌を歌っていたのを思い出しました。

華やかに見える芸能界で活躍し続ける裏には、辛く苦しい思いにも屈することなく必至で生きる高橋真梨子のドラマがあったんですね。

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One Response to “高橋真梨子の辛すぎる生い立ち!激やせの今に至るまで”

  1. ジョニーへの伝言からのファンです。
    五番街のマリーとの関係を何時も頭に浮かんできます。
    この二曲の組み合わせは、素晴らしいです。
    以後、女性の歌を歌っているのを聴くたび此れは、
    マリーの事なのかなという気がしてきます。

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